孫の成長に感謝!七五三の本当の意味を知り、もう一つ感謝!
本日!快晴でございます。今日は娘んちの孫F 君の七五三です。
お誘いを受けたので今日は、七五三行事に参加させて頂きました。😊
七五三を祝う、2つの理由!
七五三の行事はもとをただせば、平安時代の頃から宮中で行われていた通過儀礼の一つ!
当時は武家や有力商人などの間で行われており、都市の庶民など一般に広まったのは、
明治期にはいってからのことといわれています。
人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼です。
男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳でお祝いします。
七五三の文化は江戸時代から始まったとされています。
およそ400年前の“江戸時代”に、
江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉の長男、徳川徳松の健康を
祈願して11月15日にお祝いをしたことが始まりと考えられています。
徳松は幼い頃より体が弱かったため、5歳まで無事に育ったことが喜ばれ、祝い事を行
ったのだそうです。しかし残念ながら、徳松は天和3(1683)年、5歳で夭折されまし
た。😥
もう一つの訳・・・「七歳になる前の子は神の子」
江戸時代中期以降、年貢の増徴や飢饉(ききん)などで農民生活が苦しくなり、口減ら
しの「堕胎・間引き(人口制限)」が全国的に慣習として存在したこいうことです。
江戸時代の前期に人口が激増して2600万人に達した後、
120年ほど3000万人程度で維持されてきました。
なぜ人口が増えなかったかというと、間引きや堕胎が横行したからだとされています。
食料生産が追いつかず、人口が増えれば村が疲弊するだけなので、
特に女の子を間引くことで、人口調節をしたのだそうです。😭
乳児の死亡率が高く、当時の戸籍である人別帳や氏子台帳に登録されず、
死亡しても死亡届を出す必要がないほどでした。
その当時は、「七つまでは神のうち」という言葉があり、7歳まで子供はあの世とこの
世を行ったり来たりする存在だと考えられました。
そのため、子供が小さければ間引きしても問題ないと考えられていたのです。😲😖
「7歳までは神の領域に属するもの」として「子どもを神に返す」という思想で、
恰も正当性があるかのように自己説得させていたのでしょうか。
幼児の人権は重視されていなかったのです。😭
七五三には、子どもが無事に生まれ、無事に育つことの困難な時代にあって不安定な時
期を乗り越えた節目の儀礼であったようです。
7歳まで無事に育ってくれてという感謝の現れなのですね。
この時代に生まれていなくて本当に良かった・・・・( ノД`)
11月15日に七五三をお祝いする訳
旧暦11月はその年の実りを神に感謝する月であり、旧暦15日は二十八宿で
「鬼が出歩かない日」「何事をするにも吉」とされる鬼宿日に当たったことから
11月15日に行われるようになったそうです。
今日では11月15日にこだわらずに10月から11月の間に行われるようになっています。
3歳、5歳、7歳に区切られた訳は・・・
3歳・5歳・7歳の奇数年を区切りにした理由には、日本では古来から奇数が縁起が良い
と考えられていたからそうです。
三歳=言葉、
五歳=知恵、
七歳=歯
を神から授かる事を感謝とするもです。
島根県出雲地方では、3歳・5歳・7歳は子ども
にとっての「厄年」とされていたため、
厄払いも兼ねていたようです。
徳川時代に普及した、3歳の男女児の「髪置(かみおき)」、
5歳の男児の「袴着(はかまぎ)」、7歳の女児の「紐落(ひもおと
し)」も奇数年で行ったとされています。
3歳5歳、7歳で祝う意味とは・・・
七五三の由来は、平安時代に行われた、3歳の「髪置き」、5歳の「袴着」、7歳の「帯
解き」の儀式にあるといわれています。
3歳・5歳・7歳の奇数年を区切りにした理由には、日本では古来から奇数が縁起が良い
と考えられていたからそうです。
3歳 髪置とは・・・
幼児が頭髪を初めてのばす時にする儀式!
生児の髪は剃っているのですが、この日から髪を剃らずに残すことにするのです。
5歳「袴着(はかまぎ)」 とは・・・
幼児が初めて袴をつける儀式のこと。 古くは3歳、後世では5歳または7歳に行い、しだいに11月15日の七五三の祝いとして定着。(着袴(ちゃっこ)初めて袴(はかま)を着ること。)したと伝えられています。
7歳 紐落は・・・
帯解(おびとき)」ともいい、
それまで付け紐で着ていた着物を帯で締めるようにすること。
童子の着物についているいる付け紐を取り、初めてつける帯をための祝儀。
これらの祝儀は公家(くげ)や武家の間に主として行われていました。
千歳あめの由来は・・・
千歳あめの由来には2つ説があります。一つは・・・
大阪の平野甚左衛門さんが、江戸の境内で飴を売り始めたのが始まりだとか!
このとき千歳飴は「せんざいあめ」と読まれており、
その飴を食べれば千歳まで生きられるとして人気を集めていたという説!
もう一つの由来は・・・
千歳飴は江戸時代の浅草寺が発祥地と言われています。当時、浅草寺で紅白に染めた棒
状の飴が「千年」という名で売られて有名になっていきました。七五三の「千歳飴」も
この「千年飴」から始まったようです。
いずれにせよ、
千歳飴には『細く長く、健康な人生を』という長寿の願いが込められています。
縁起が良い紅白の飴になっており、袋に長寿のシンボルである鶴亀や松竹梅などの縁起
の良い絵が描かれているのも、全ての親の願いが象徴されているのです。
我が家の七五三の場合
Y君の袴姿!可愛い!🥰
去年、孫のY君の七五三でしたが、息子夫婦だけでとりおこなっていました。
何と、自分たちが好きな神社で出張撮影をお願いして行っておりました。
着物はレンタルできるようです。
プロの撮影された写真は、まぁ~見事なモノばかり!うちの孫、モデルかな!?と思う
くらい、映えているのです。
Y君と妹!
家族がとても幸せそうに映し出せれている映像は、
見ているこちらにも伝わってきました。
写真一つ!にも技術があるのですね!!😑
そして、今日のF君の七五三の場合は・・・
F君は、名探偵コナンのいでたちです!
本日のF君!
事前に娘から、じじばばも七五三に参列して欲しい!と
言われていましたので、仕事のシフトを調節し、本日参加させて頂きました。
娘夫婦の考え方は、地元の神社で七五三を執り行う!と
いう揺るがない信念がありました。
その訳は・・・
地元の神様にお世話になるのだから、どんなに小さくても、地元の神社である氏神様に
子供の成長を感謝し、この先も幸せに暮らせるように祈願する!という信念。
三者三葉の考え方がありますが、親が子供の成長を願う気持ちはどちらも同じです。
じじばばも陰ながらいつも祈っております。
F君は、スーツで男前に決めています。カッコいいよ!
まるで、名探偵”コナン!のようです。😍🥰
妹Hちゃんと仲良し❣
息子、娘の七五三を思い出す
29年前の息子、娘も七五三を思い出します。
数え年の5歳3歳で息子、娘の七五三を致しました。息子はスーツ!娘は、
着物をレンタルし、髪も結って頂きました。
いざ神社での祝詞がはじまると、娘は・・・
髪を結った頭が痛い!とか、
お腹減った!千歳あめ食べたい!と言いだし、夫と何とかなだめましたね。
まだ、3歳なので!😅
何とか、無事に儀式を終えたことを思い出します。😊
女の子は3歳と7歳で着る着物が替わります。
3歳の七五三では「三つ身」と呼ばれる着物を着て兵児帯(へこおび)という柔らかい
帯を巻き、その上から被布という袖のない上着を重ねます。
7歳の女の子の着物は、大人とほぼ同じで、「四つ身」と呼ばれる子どもサイズの着物
を着ます。襦袢や半襟、帯に帯揚げ、帯締めと、準備するものや着付け方も大人とほぼ
同じです。
思い出に!と娘にも両方の着物を着せ、七五三をした記憶があります。
子供の成長を願わない親はいません!!
現代はコロナ禍で大変な世の中ではございますが、生きていられることに感謝しなくて
はいけません。
そして、昔の苦しい時代があり、今日があるのだという事を肝に銘じ、生きていかなく
てはいけません!
祝う事が出来ることに感謝し、命の尊さに感謝した一日になりました。
鳩が水浴びをしておりました!😊
ここまでお読み頂きありがとうございました。<m(__)m>