MITAの井戸端会議

mita目線で感じた事、体験した事etc綴ってゆきます~

献体登録していた父母 私と父の約束

私との約束!人に迷惑かけずに一人で逝って!!

 

  

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今から15年前に、父が他界しました。

父は私と約束した通りの亡くなり方をしたのです。

 

 

私の実家は、以前運送会社を営んでいました。

やがて倒産!それから父は酒浸りの日々を送るように・・

景気が良かった頃は、 大型トラックが何十台もあり、

結構な従業員が働いていました。

夏は従業員の家族一同を連れての海水浴!

年に一度の会社の慰安旅行、

年末年始は従業員を集めての食事会などなど、

本当に父と母はよく頑張っていました。

家は半分は、従業員の寮に。

母と祖母は、従業員の朝晩の食事の支度も全てこなしていたのです。

しかし、後に会社が倒産してしまいます。



 

 

 

 

差し押さえの赤紙


 

元々酒が好きだった父ですが、きっといろいろな会社の問題を抱え、

お酒を飲む量が増えていったのでしょう。

ある日、小学校から帰る途中、

親戚のおばに手を掴まれ、

”家に帰ってはいけない!”と

と涙声で言うのです。

それから数時間後・・・

家に帰ると、家中の家財道具に赤紙が貼られ差し押さえされている・・・

浴槽にまで貼られていましたね。

その光景を私に、見せてはいけないから! と家に入らないよう、

母がおばに頼んでくれたようです。

それから数日後、赤紙の貼られた家財道具は全て運ばれていったのです。 

借金取りが押しかける日々!

電話は四六時中なり続ける!

父は、朝から晩まで酒浸りの日々・・・

私が小学生の頃から高校生までの間、本当に大変で

色々なことがありました。

私が就職した時も、飲んだ勢いで就職先に電話をしてきたり、

本当に迷惑ばかりかけた父。

私は3人兄弟なのですが、 こんな家庭事情なので、

姉も、散々父と喧嘩をし家を飛び出し、兄も出て行き、

次は私の番だとばかり、高校卒業する事だけを考え、

この家を出れる日を待ち望んでいました。

家を出る準備を始めるべく高校3年生からはバイトを開始!!

そのお金を持って関西へ出てきたのです。

飲まなければ本当に優しい父なのですが、

お酒を飲むと人格が変わってしまうんです。

これこそがアルコール依存症の怖いところ!!

 

姉が心の支え・・・今でも・・・


 

私達、姉兄はとても仲がよいのです。

それぞれ家を飛び出したのですが、姉兄はいつも繋がっていました。

姉が、兄と私をよく姉の家に泊まらせてくれたりと

唯一逃げ場を作ってくれていました。

ある日、 父が

お酒の飲みすぎて吐血し、入院!

姉からの電話で、その夜中、車を飛ばし、入院先へ!!

ベッドの上の父を見て、ほっと!

その瞬間、私の気持ちに怒りがこみ上げ、 

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もういいかげんお酒は辞めたら!!

まだ人に迷惑かけるつもりなん!!

 

といってしまった・・・



家庭を持ち成長した私たち


 

私も姉兄も、みんな各々に家庭を持ち、子供もでき、

生活も落ち着いてきたころ、

もう一度、みんなで顔合わせ、

家族のわだかまりを失くした方がいいということになり、

年に1回は実家にみんなが集まるようになったのです。

その頃から、私は実家に帰る度に父に向かい、

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散々迷惑かけてきたんやから、死ぬときぐらい人に迷惑をかけずに死んでや!

子供にも、 親戚にも散々恥ずかしい思いをさせて、どんな気持ちで毎日私が過ごしていたと思うん!!

私の幸せを踏みにじるようなことしたら許さへんから!

本当に死ぬ時は人に迷惑をかけずに一気にあの世に行ってね!!

 

と、父に言い続けていたのです。

父は、”わかってるよ!!”

といつも笑って私の話を聞いているのです。

あの時の辛さ、もう二度としたくありません・・・

冗談混じりではありますが、気持ちは本気でしたね!

 

体調を悪くし始めていた父・・・あっけない最後


 

父は、 なくなる3年前から体調を崩していました。

元々持っていた持病である肺気腫が、悪化し始めていたのです。

お医者様の言うことも聞かない父。

酸素を持って歩かないといけないレベルなのに、

酸素を持って歩くなんて、そんなことはできないと!

頑なに拒否。

そして15年前の6月29日。

夕方、母が買い物から帰り、疲れていた母は横になっていたそうです。

トイレに立ち上がる父!

うとうととしている母の耳に、 父の声が・・・

おーい!お水をいっぱい持ってきてくれないか!

父が母に言います。

母は、トイレの水を飲むなんて、

”用を足してから飲めばいいんじゃないの!”

と言ったらしいのですが、

どうしても今、飲みたいのだ!という父。

仕方なく母は台所に行き、

コップにお水を入れ、トイレに持って行ったのです。

父はコップの水を飲み干した後、大きくため息を着くと同時に、

父の手からコップが落ち、

父の顔色がみるみる悪くなっていったのだと。

その様子を見た母は、

このまま死んでしまう!と思ったらしいのです。

こんなところで死なれては・・・

と思った母は、トイレから父を引っ張り出し、

隣の部屋まで引きずり出したのでした。

その時にはもう息をしていなかったということです。

慌てた母は、病院に連絡!

それから警察が来て、バタバタと・・・

警察の方から注意をされたようです。

”どんなことがあってもその場から本人を動かしてはいけませんと!”

母曰く、

硬直してしまってからでは動かせないと思ったので!と・・・

突然の事なのにそこは冷静な母・・・😫

夕方、姉から電話があり父が亡くなった事を知らされました。

マジで!!とにかく驚きました。

その夜車を飛ばし安置されている病院へ!

父は霊安室で寝かされていました。

今まで私が父に散々行って来た事が現実に起きてしまい、

この状況をすぐには受け入れられませんでした。

父は私との約束を守ってくれたのでしょうか!

あっけない終わり方でした。

 

献体を登録していたことを知らされる


 

母が、

”もう時間がないからお姉ちゃん達が来たらもう父ちゃん行くからね!!”

と言うのです。

何を言ってるのかさっぱり分からず、

”どこに行くの?”

と聞くと 、父も母も、

これ以上、子供に迷惑をかけてはいけないからと、

自分たちが亡くなった身体は献体として病院に提供する

という登録をしていたようなのです。

 

献体とは・・・

*献体とは医学や歯学における研究や人材育成のために、自らの遺体を大学

などに無条件および無報酬で提供すること。

*献体を行うには生前のうちに大学や関連団体に登録をしておく必要があ

る。 

 

防腐処置を適切に行う必要があるため、

逝去後48時間以内処置を行わなければならないのです。

この時点で母は、献体として提供する大学病院の方に連絡をしていたので、

もうすぐ車が到着するというのです。

 

父の思い・・・私との約束


 

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あまりにも短い、父との別れ!

確かに、

”誰にも迷惑をかけずに一人で死んでね!!”

と言っていたけど、

最後に看取る事も、話すことも出来なかった・・・

あっけない最後となりました。

”人様に迷惑かけた分は、何かの形で恩返しがしたい”

父と母は献体の登録をしたようです。

母は、

”人のお役に立てるのだから、安心して逝けるよ!”

今でも笑って言うのです。

まだまだ、元気な母は84歳!

辛い思いをした分、もう少し、

こちらの世界を楽しんで欲しいと、心からそう思います。

私との約束!!

誰にも迷惑を掛けず、一人で逝ってしまった父。

父に、財産なんて物はありません。

しかし、私たち子供に借金を残すこともなく、逝ってしまいました。

あれだけ、嫌だったこの親のもとに生まれてきたからこそ、

家族を大切にしようというと強く思う気持ち!

人様に迷惑を掛けない生き方をしなければいけないという気持ち!

を私の心の財産として父が残してくれたのかも・・・

反面教師ってやつですね😅

ダメ親のもとに生まれてきたことに、今では感謝しています。

今日も、父の写真に向かいお線香をあげました。

 

 

 


ここまでお読み頂きありがとうございました<m(__)m>

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