MITAの井戸端会議

mita目線で感じた事、体験した事etc綴ってゆきます~

阪神・淡路大震災の発生から27年。忘れてはいけません。いえ、忘れる事が出来ません。

ライフラインを支える現場の努力!凄いものがあります。

 

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希望の灯り(神戸市 東遊園地)

阪神・淡路大震災の発生から27年。

あの惨事は一生忘れることはないでしょう。

早朝、5時46分。

 

 

当時の我が家は・・・


 

私たちは当時、団地の2階に住んでいました。

ドーン!と下から突き上げる振動で目が覚めました。

当時、子供は5歳と4歳。夫はすぐに子供のもとへ。

二人を抱き抱えて、”大丈夫”やで!と声をかける夫。

私は激しい揺れと、食器棚から落ちる食器の割れる音に、

恐怖を覚え、取り乱し思わず叫んでしまう。

我が家の家具は転倒する一歩手前で何とか踏みとどまってくれました。

お隣は年配の女性で一人暮らし。

1階には老夫婦が住んでおられて

夫は心配して様子を伺いに行く事に。

5階の方は家具が倒れたという事でしたが、

お隣さんと1階の老夫婦のお宅は家具が転倒することもなく

大事に至らなかったのです。

この頃、夫は大きい現場の仕事をしており、

毎日、朝4時30時には出勤していたのですが、

この1月17日だけは朝7時半の普通出勤で良かったため、

夫がいてくれたことでどれだけ助かったことか!!

私、一人だったらどうなっていたかと思うと・・・🥶

 

 

信じられない映像


 

    

神戸市ホームページより引用

 

真っ暗闇の中で起きた地震。

夜が明け始めて、はじめてこの地震の規模の大きさを知りました。

テレビに映し出される、火の海と化した町。

戦争でも起きたのかと思うくらい、映画のシーンのような映像。

町はずっと燃え続けています。

皆が助け合いバケツリレーをしている様子。

道は陥没し隆起。倒れた高速道路。

線路はジェットコースターのように曲がっている。

生まれて初めて見るマンションが真ん中で折れている映像。

マンションの3階が一階になっている信じられない状況。

寒さの中で泣き叫んでいる住民の姿。

思い出すと、今でも身につまされます。

この頃はまだ、携帯電話が普及しておらず、唯一の連絡手段は固定電話。

でも繋がらない・・・

地震発生から2時間後、やっと、電話が繋がりました。

姉や義兄、友人の電話の声が

不安だった私の気持ちを安心に変えてくれたことで、

”よし!落ち込まずに頑張らなければ!”

と呆然と立ち尽くす私の背中を押してくれたのです。

夫は職場へ。この時、私は子供をどうしたらいいのか考えました。

家にいることが安全なのか、災害時の緊急避難場所に行くべきか・・・

震度4ぐらいの余震が不定期にやってくるのです。

すると、幼稚園から連絡が!!

先生方もこの地震で自宅が大変なことになっているはず。

なのに

”平屋の幼稚園は安全!

子どもたちの避難場所に幼稚園に来させてください!”

と声掛けしてくださったのです。

幼稚園に子供を預けたことで、

私たち主婦は家の片づけを無事に終えることができたのです。

これが、本当にありがたかったのです。

 

 

災害時だからこそ、動いている人たちがいる


 

 

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私たちは、災害が起これば、

まず、自分たちの身の安全を考えて動けばいいのですが、

こういう時だからこそ、

先頭に立って動いてくれる人達がいる事を忘れてはいけません。

市役所の方、病院関係の方、警察官の方、消防署の方、自衛隊の方。

状況を伝える報道陣の方、学校の教職員の方々など、

たくさんの人たちに支えられ生きているという事。

ガス、電気、水、ライフラインを確保してくださっている

現場で仕事をしてくださっている方々。

最近でいうと・・・

2018年(平成30年)6月18日7時58分に起きた大阪北部地震。

これも大変でした。

この時、我が家はオール電化だったことで、

お風呂や料理など問題なく生活できたのですがガスを使っているいお宅では、

お風呂も料理も出来ない状態。

うちの子供たちの家でもガスが止まり、

お風呂にも入れない状況が数日続いたのです。

家族は皆我が家に集合してお風呂に入ったり食事を共にしたりして過ごしました。

ガスって、強い地震が来るとガスは自動遮断するそうです。

私は知らなかった!!😥

 

 

ガスの開栓は危険物だからこそ安全に配慮して!!


 

ガスの普及には大変な手間と連携が必要なのです。

調べると・・・

ガス会社各社には当然、地震対策があるのです。

地震に備え、折れにくいポリエチレン製のガス導管に取り替えたり、

各家庭のガスメーターをマイコンメーターにし、

震度5程度の揺れで自動遮断するようになっているそうです。

供給エリアをブロック化し、そこに地震計を多数設置することで、

震度6程度の揺れを感知したブロックだけを

自動遮断できるようになっているのだということです。

これで二次災害の防止のための対策もしっかりできています。

これによって、強い揺れになるブロックだけに供給停止エリアを

極小化することが可能になり、復旧効率も向上。

大阪ガスの供給エリアは、現在は164ブロックに分かれているそうです。

災害時には、日本ガス協会を通して、

全国のガス事業者が復旧支援をする相互応援体制

も整備されているのです。

供給開始までにはいくつかの手順があるそうです。

まず、各戸のメーターガス栓を閉栓。

次にブロックをさらに細分割して、

小ブロックごとにガス漏れを検知してガス導管を点検し、

損傷が見つかれば道路を掘削してガス管を修理する。

小ブロック内の修理が終了したらガバナー(整圧器)を再稼働し、

その後、各戸を巡回して内管などの点検をした後、

それから全戸の顧客を巡回し各戸のメーターガス栓を開栓するという、

危険物を扱う為どうしても安全に配慮する作業には時間がかかるのです。

復旧状況はホームページで丁寧に報告されていて、

今どの地区が普及しているのかが一目でわかります。

 

 

日本中のガス会社の車が集結!愛を感じた2週間。


 

私は北大阪地震の時、このガス会社の相互応援体制を目撃したのです。

日本中のガス会社の車が揃っている!?

と思うくらいたくさんのガス会社の車が広い校庭に集結しているのです。

これがその相互応援体制!!

凄い数の車たち。日本全国から応援に来ている車のナンバー。

始まりました。日本を助け合う応援体制が。

友人宅も地震から3日経ってもまだ、

”ガス屋さん来ないねん!”と言っていたのですが、

4日目にガスの開栓。

しかも、巡回してきたガス屋さんは関東からきた応援のガス屋さん!

とても男前で

さっきまでガスの止まった不自由な生活を一瞬で忘れたわ!!”

と言っていましたから😅・・・

2週間ぐらい校庭に止まっていた、たくさんの車たちも、

日が経つにつれて1台、又1台と車の数が減って行きました。

普及活動が進んでいるのでしょう。

息子の家は5日後に開栓。娘の家は1週間後に開栓。

無事に日常生活を取り戻すことができまのです。

”助け合う力!”って”生きる力”にかえてくれるのです。

冷え切った心に温かいお湯を流し込んでくれるような・・・

ありがとうございました。<m(__)m>

阪神淡路大震災を体験してからもう27年も経つのですね。

天災にはどうしてもかないません。

しかし、それに対しての備えをすることは出来ます。

我が家も今日が毎年避難用具の点検日。

”備えあれば患いなし”

生かされている今日に感謝です。

ここまでお読み頂きありがとうございました<m(__)m>

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