MITAの井戸端会議

mita目線で感じた事、体験した事etc綴ってゆきます~

思い出は美しいものです。辛い時期は期間限定。乗り越えた先で人生は輝くのです!

夫がとった泣ける行動!貧乏だと馬鹿にしていた夫が一番感謝しているのかも!!

 

シオン・花言葉:「追憶」「君を忘れない」

 

義兄が亡くなってから、もう一週間が過ぎました。

このコロナ禍で、葬儀は家族葬で行うことにした姉。

 

 

姉に以前から言われていたこと・・・

香典も何も受け取らないから何もしなくていい。

そして今はコロナが猛威を振るっているので帰ってこなくてもいい。

気持ちは十分に伝わっているから!

と言われていたのです。

(義兄=お兄ちゃんと書かせていただきます。<m(__)m>)

 

 

 

 

親代わりだった姉夫婦。


 

お兄ちゃんは、私の実家が運送会社をやっていた時の元従業員

そして、実家の一部は 従業員の寮にもなっていました。

ここには若い従業員が3人寝泊まりをしていたのです。

その中の一人がお兄ちゃん。 

私が幼稚園の時から、

この寮で寝泊まりをしていたお兄ちゃんとは 兄妹ような仲。

その後、姉が高校生の時に兄ちゃんと駆け落ち。後に結婚。

実家が複雑だったため、結婚した姉は両親に内緒で

よく私や 兄を家に泊まらせてくれるようになりました。

その後、私も結婚。

私たち夫婦も結婚当初、

夫の両親から反対されていたため

何年も夫の実家に帰れない日が続いていたのです。

そんな私たちを親代わりになりいつも実家のように

姉の家に里帰りさせてくれていたのです。

姉夫婦は決してお金持ちではありません。

賃貸の狭い平屋の一戸建てに住んでいましたので・・・

しかし、この狭い平屋に年に3回は里帰りのようにさせてもらっていました。

狭いけど、心地良かったぁ~楽しかったぁ~😊😌

夜中に家を出て姉の家に泊まりに行く事が、

うちの子供たちも大好きで、毎回楽しみにしていたのです。

実兄夫婦も帰ってきて、

狭い家に3世帯13人がひしめき合い、

長い時には1週間も泊まらせてもらっていました。

これが本当に楽しいのです。

いつも笑顔で、迎え入れてくれたお兄ちゃん。

姉だけなら決してできなかったこの環境。

お兄ちゃんがいたからこそ出来たのです。

 

 

 

 

 

貧乏だからこそできたアウトドア方法。良い思い出です!😊


 

 

今から30年前なんて・・・

アウトドアやキャンプをするのって意外とお金がかかりました。

お金持ちの遊び!?ぐらいの感覚。

なので私たちは常にお金をかけず、お出かけする方法を考えていたのです。

遠くに遊びに行く時は、 炊飯器ごと車に積み込み、

余ったおかずをタッパーに入れ持ち運んだり、

夏は毎年近くの海へみんなで行くのですが、

カセットコンロとフライパンを車に乗せ、

スーパーで安い焼きそばを購入。

それを浜辺で料理するのです。

「こんなんしてるのうちらだけやで!恥ずかしいわ!」🤣🤣🤣

と言いながらも、本当に楽しかった。

今思い起こせば最高の思い出になっています。😌

結婚したての夫は、この光景が衝撃すぎて、

「本当に貧乏なんだな!」と言いながらも

夫はいつもこの家族でワイワイやっている事を

とても楽しんでいました。

 

 

 

 

どこが繋がっている!?お兄ちゃんと夫。


 

いつもお兄ちゃんが夫に話しかけていること。

それは・・・

お兄ちゃん

俺らは婿養子やから肩身が狭いなぁ~いつも尻に引かれてるな!

でもな、嫁さんの尻に引かれてることが円満の秘訣だから、

お前も耐えるんだぞ !!婿養子は辛いな~!

と言いながらふたりで笑っているのです。

夫は、

そうですね。お兄さん!うちも大変ですわ!嫁さんが強いから!!日々忍耐ですわ!!

と。

そうやって尻に引かれているという例えを” 婿養子”と言い方で表現していました。

夫は私の実の兄には意外と気を使います。

お兄ちゃんとは一回り歳が離れているのですが、義兄だからなのか、

とても話しやすいようです。😅

 

 

家で泣かずに外で号泣する夫。危ないから💦


 

お兄ちゃんが危篤状態になってからも、

私は常に姉と連絡を取り合っていたため、

何かあっても今は何もしない。改めて甥や姪にもメールもしない。

時期を見て仏壇に手を合わせに行くからと伝えていました。

夫にもこのことは伝えていたのですが、夫は自分の気持ちを伝えたく

姉家族全員に短い文面でメールを送っていたのです。

姉には3人の子供がいます。

この子供達全員にも送っていたメール!

すると、次々と帰ってくる甥や姪達のメール。

逆に子供達3人からは夫への感謝のメールが送られてきたというのです。 

夫は兄が亡くなった次の早朝にメールを送信していました。

これを今見てしまったのでは泣いてしまう!

と思った夫は急いで支度をして仕事に向かったらしいのです。

その途中で心を落ち着けメールを見ようと。

甥や姪からの返信メールの内容は・・・

夫に対する感謝の気持ちと、

みんなで過ごせてきたことが父にとっては一番幸せだった。

と書かれていたというのです。

当然のことながら夫は道路で号泣( ノД`)シクシク…

そりゃそうでしょう!普通に泣くでしょう!

バイクから降りて道路での号泣の方が、危険なんだから家で泣けよ!!😫

と私は思ったのですが・・・ 

私は夫よりも早い出勤のため、 この状況を全く知りませんでした。

この話も後々聞くのです・・・




亡くなったお兄ちゃんの携帯に送った最後のメール。


 

夫は姉家族 全員にメールを送った後、

亡くなったお兄ちゃんの携帯にもメールを送信していました。

今までの感謝の思いをどうしても本人に伝えたくて・・・

あの世で読んでくれたらいいなぁと思い送ったというのです。

全くの赤の他人で、共通点もなく、めったに電話でも話さない・・・

でも気は合うのです。いつもお兄さん!お兄さん!と言っていた夫。

「もう帰っても、ようー帰ってきたなー!

と声をかけてくれる人がいないんやで~!寂しいなぁ~!」😢

と毎日落ち込んでいます。。。。

この話を聞いたのは昨日。

突然私に話し出した夫。

全く知りませんでした。

甥達にメールを送ってることすらも・・・

その話を聞いて一番泣いてしまったのは私です。😭😭😭

「お前の家は本当に貧乏家族やな!」とよく口にしていた夫。

しかし、1番感謝していたのは夫でした。

みんなでひしめきあってご飯を食べたあの時のことか、

炊飯器を持って出かけたこととか、

忘れられない思い出ばかりだと。

目をうるうるさせて話す夫に

私が感謝をします。

ありがとう~❁~❁~

 

 

時は流れ、そしてみんな成長していきました。


 

大変だった頃を一緒に過ごしてくれて、

私たちを受け入れてくれた姉夫婦。

あの頃は姉夫婦も大変でした。

唯一、お兄ちゃんの欠点は、仕事が長続きしない・・・

1番アカンやつ!!😫

たくさん仕事を替わりながら何とか家族を養ってきたお兄ちゃん。

1番アカンやつ!!😫

姉も随分とこの事には悩まされていましたが、

今となっては全てが思い出です。

そんなお兄ちゃんの最大の長所は、

人間は最高にいい人なのです。とにかく優しい、

良く言えばお人よし・・・😅

お兄ちゃんに感謝です。

お金がないのに、親代わりになり

みんなを受け入れてくれてありがとう!

あれから、姉夫婦の子供たちは立派に成長しました。

親を反面教師にしながら、みんな一流の企業に勤め

立派に家族を養っています。

うちの息子のこともいろいろ心配してくれました。

そんな我が家の息子も今では正社員になり一生懸命働いています。

時が流れるとともに、各々が成長していき

あの苦しかった時が、一番楽しいと思える。

あの時があるから、今を幸せだと感じれるのだと思います。

私たちに残された時間が長いのか短いのか分かりませんが、

悔いのないよう自分の人生を生きなければいけないと心に誓うのでありました。

 

PS:お兄ちゃんの携帯電話に送っていた夫のメールは、

後日姉が見つけていました。

充電が切れていたため、充電し直し確認していると、

夫からの一通のメールを発見。

それを見て泣けた!と姉は話していました。😌

お兄ちゃんへの追悼の思いをこめ、長々とブログを書かせていただきました。

お付き合いくださり本当にありがとうございます。

 

ここまでお読み頂きありがとうございました<m(__)m>

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