MITAの井戸端会議

mita目線で感じた事、体験した事etc綴ってゆきます~

献体 その後の流れとは・・・父が帰ってきたのは1年2ヶ月後

献体とは、日本の「解剖学」の進歩に大きく貢献する事なのです。

 

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父が亡くなった日。

家族全員集、集まることができなかったのです。

 

 

 

この日帰ってこれたのは、

私達家族4人と姉夫婦と兄と母だけで見送ることに・・・

私たちが到着してから2時間後には、

もう大学病院の車が到着し車に乗せられ父は逝ってしまいました。

急ぐのには理由があります。

48時間以内に 防腐処置を行わなければなりません。

そのため、ゆっくりと悲しみに慕っている時間などないのです。

 

 

www.ki-chanblog.com

 

 

どうしても、家族全員で父のお見送をしたい姉


 

それから数日後、姉は大学病院に交渉しに行っていました。

”どうしても最後に家族全員と合わせてやりたいので、

安置している姿を見せてもらえないかと。”

病院側は、今から一週間以内なら、

もう一度だけ遺体と対面できる!ということでした。

それ以降になると、遺体に 別な薬を投与する為、

以前の父と違い、別人になってしまう可能性があるため

それ以降は会わせることはできないということでした。

姉からの電話で、事情を聞き、

一週間後に家族全員が集まることになったのです。



安置されていた父


 

病院に着くと、安置室のようなところに通されました。

そこには、立派なお棺の中で安らかに寝ている父の姿がありました。

この時は、お棺の顔の小窓からしか父を見ることはできません。

亡くなってから約2週間近く立っているのですが、

防腐処置を行われているためか意外と顔は綺麗なまま。

肌の質感はというと、ろう人形のような肌質に感じました。

ここで、新たな父の旅立ちに、 

家族全員で手を合わせ、見送ることができたのです。

その夜はみんなで集まり、思い出話に花が咲きました。

父のせいでいじめられたり、

辛く、悲しい思いをさせられてきたのに、

振り返ると、懐かしく思えてしまい、

あの時の辛さが不思議と消えていったのです。

兄と私は酒が大好きです。

これもきっと父譲りなのだと、兄と笑いました。😊

 

父が帰ってきたのは1年2ヶ月後・・・


 

医学教育・研究のために自身の遺体を無条件・無報酬で大学へ提供する献体。

献体に提供したからといってすぐに、”解剖学実習” に使われるわけではないのです。

解剖するにあたり、色々と、順番があったりするようで、

早い人で1年、長い人では3年ぐらいしない

遺骨は帰ってきません。

遺体に特別な病気や、感染病などがあれば、

遺骨も返ってこないことがあると大学側から

母は聞かされていたようです。

父はそのようなことはなく、

無事”解剖学実習”に貢献し1年と2か月ぶりに

我が家に帰ってくることができたのです。



遺骨が帰ってくる間、行われる事!


 

 

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献体として安置されると、

年に一度大学側で、

医学の進歩発展のために、献体された多くの尊い御霊に感謝を捧げるべく

「解剖体慰霊祭」というものが執り行われるのです。

父がなくなり、ちょうど一年経った頃、

大学の方からこの「解剖体慰霊祭」の案内通知がきました。

母と姉夫婦はこれに参加しました。

遺族・教職員・学生等が一堂に会し、

御霊に祈りを捧げ、献花をされるという事です。

そしていよいよ 「解剖学実習」に遺体を供する時、

〇月〇日、荼毘に付されます。

家族の元に通知がくるようです。 



遺骨の返還の流れ 


 

解剖学実習終了後、遺体は火葬され、遺骨になります。

遺族代表者、(うちの場合は母)に遺骨の返還に関する案内状が届くのです。

火葬される当日、母と姉夫婦は大学へと足を運びました。

その時にはすでに、お棺は、 火葬炉の中に入っており、

親族が点火ボタンを押すだけになっています。

母と姉夫婦はお互いに手を重ね点火ボタンの押したのです。

数時間後、

火葬が終了し、骨を拾い骨壷に入れるとき・・・

その 骨を見たとき、母と姉は、

これが献体として貢献した証なんだと気付いたそうです。

それは・・・

普通に火葬された後の骨とは明らかに違うというのです。

骨の断面が鋭い刃物で切った断面になっているとのこと。

父が「解剖学実習」に貢献したのだという事が確認できたと

姉は言っていました。

これで父の最後の仕事が 無事終了。

母の胸に抱かれ、父が自宅へ戻ってきました。

 

姉が準備してくれたお葬式。


 

兄は遠方にいるため、お葬式の準備も全て姉にお願いし進めてもらいました。

家族だけの小さなお葬式。

”大変な人生だったね!ご苦労様!”

父に声をかけ、父の波乱万丈だった

人生の幕は降ろされたのです。

今、父の遺骨は、兄の傍で、兄が建てくれたお墓の中で眠っています。

大好きだった長男の近くに居れて、さぞかし幸せでしょう。😊

 

あの時の自分に今の私が一言いたい・・・


 

幼かった頃の私は、自分が一番の悲劇のヒロインで、

こんな苦しい思いをしているのは

私だけだと思い込んでいました。

誰も助けてくれない、逃げたくても逃げられない・・・

私は可哀想な子・・・

今、あの時の自分にこう伝えたいのです。

頑張ったぶん、あなたの未来は明るいんだよ!

今、苦労していることも、全て肥やしとなり、

色々なことがありながらも、

将来幸せな家庭が築けてるから、安心して!!と

伝えてやりたいです。😭




尊い行い! 献体として医学に貢献する事


 

どんな形であれ、人が人を育てるのですね!

献体という尊い行いによって、

医学教育の充実と医療の発展に貢献できるのです。

父が選んだ逝き方!今の私には、マネできません。

母は、今も父と同じ逝き方を選んでいます。

”お母ちゃんは、もういいやん!普通で!”

というと、

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いや!お父ちゃんと同じように逝くよ。

お父ちゃんと約束したから!最後ぐらいは人の役に立たないと!

 

そんな母には、

一分一秒でも、長生きしてもらいたいと願っています。

*今回綴らせていただいた事は、今から15年前のことです。
現在の事情とは異なることがあるかと思います。m(__)m

 

ここまでお読み頂きありがとうございました<m(__)m>

 

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